
よくボクシングの試合やキックボクシングの試合で見かける、ゴングと同時にコーナーから勇敢に進み出る選手たちが口にくわえているアレ。
誰しも1度は憧れたことがあるであろう。
何を隠そうこの私も、映画『ロッキー』を金曜ロードショーで観た少年時代のあの日から、マウスピースへの憧れはずっと持ち続けていた。
セコンドからアドバイスをうけ、目を腫らしてボロボロになりながらも、ゴングと同時にマウスピースにかじりついてコーナーから走り出るロッキー。
子供心にその格好良さは鮮明に映っていた。
時は流れ、ついにそんなスリリングな人生を歩むこともなく、普通のサラリーマンになったおじさん。
気がつけばアラフォーとなり、かじって走り出るのは寝坊してパンをかじる時くらいで、ロッキーのような劇的な人生は遠い夢のような平穏な時間を過ごしていた。
そして柔術に出会った。
安心安全の格闘技とはいえ、そこは格闘技。
スパーリングもあり、当然、不慮な事故で歯が折れる可能性もある。(見たことないけど)
なので、柔術家のなかではマウスピースをつけて練習する人もたくさんいる。
ロッキーに憧れた少年の小さな夢は、アラフォーになった今、急に叶いそうになった。
そう、ついにマウスピースをつけるチャンスができたのだ。
何か言われても、「いやぁ〜やっぱ歯は大事ですからね」と言い訳もできる。
つけてる人もいっぱいいるので、「みんなやってますよ」と言われると途端に勇気100倍になる典型的な日本人の私は、ついにマウスピースを作る決意をした。
探してみると、歯医者さんで作るパターンと、市販の物でお湯でふやかして柔らかくして、自分で歯にムニムニくっつけて型取りして作るタイプがあるらしい。
私はムニムニタイプのやつから挑戦してみることにした。(安かったので)
Amazonから翌日すぐマウスピースは届いた。
配達員も、まさかこれからこれを受け取ったUNIQLOのパジャマ全開のおじさんがロッキーに変身するとは思うまい。
ふっふっふっ
人は見かけによらないのだよ、君。
私はこれからロッキーになる。
気に入ったらコンビニに行く時もマウスピースをつけて走り出てやろうかとも思った。
マウスピースに付属する説明書をよく読み、ティファールでお湯を沸かし、さっそくムニムニしようとしてみた。
だが、お湯から出したマウスピースを歯にハメた瞬間、
「あっ、熱っぢぃぃぃーーーー!!!!!」
1回目は歯茎を大火傷して失敗した。あまりの熱さに思わずマウスピースを吐き出してしまった。
そういえば注意書きに、※熱いのでご注意ください と書いてあった。
なるほど、そう簡単にロッキーにはならせてくれないのか。面白い。
涙目でティファールに再びスイッチを入れ、2回目を試みた。
今度はうまくハマった。
多少熱くても我慢したのもあるし、1回目の事故で歯茎の熱さを感じる神経がバカになっていたのもあるが、とりあえず柔らかいマウスピースが上の歯にハマった。
熱いうちにムニムニと指で歯に馴染ませてみた。
・・・・・
マウスピースは、すごく変な形になって固まってしまった。
私の上の歯は、前歯の2本がハムスターのように大きく、前に出ていた。
ようするに、私は歯並びが悪かった。
(過去形にしてるのは、この騒動の後に遅れながら歯科矯正をしたので、この出っ歯は現在解消されているから)
マウスピースは私の歯形を顕著に再現しており、マウスピースの前の部分においては、表面からみて「あっこいつ出っ歯なんだ」ってわかるくらい2本の前歯の型がボコッと浮き出ていた。
なんとも不恰好なマウスピースが出来上がり、しかも出っ歯の私がはめると、さらにマウスピースが前に出てくるため、もはや口を閉じるのが不可能なくらいマウスピースが飛び出してしまう始末だった。
マウスピースがアホみたいに口から飛び出ている情けない顔の自分を鏡で見て、「誰もこんなやつと戦いたくないよな」と、ある意味ロッキーより強くなった己の姿に絶望した。
出っ歯型マウスピースをそっとゴミ箱に捨て、私の夢は静かに幕を閉じた。
「あれ?パパ、マウスピースはできたの?」と、部屋の隅で体育座りしている私に対する家族の問いかけには、
「不良品だった」
と冷たく返してそれ以上聞かれないように壁を作った。
みなさんも、マウスピースへの憧れはほどほどに。