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卒業式②

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先日小学校の卒業式の思い出について書いていたら、久しぶりに高校時代の卒業のことを思い出した。

卒業式ではなく、卒業についての思い出だ。

私は高校時代、成績がかなり悪かった。

本当に留年するかしないかくらい。

凄まじく成績が悪かった。

不良だったわけではない。

ただ、学校にちゃんと行ってなかった。

登校拒否していたわけではない。

毎晩夜遅くまで友達と遊び、朝は眠くて通学途中で面倒くさくなり、近所の公園で寝ていたりしていたのだ。学校に行っても授業は基本的に寝ていた。

そしてまた夜友達と遊び、翌朝同じことを繰り返す。

そんな生活をしていた。

そんな生活をしていたので、当然授業は全く聞いておらず、成績はどんどん悪くなった。学年で最下位になったこともある。

そしてある日、たまたま学校に行った日に、担任の先生に職員室へ呼ばれた。

「お前、あと1回授業欠席したら留年だぞ」

『留年』

最初この言葉を聞いた時、「漫画以外でも本当にあるんだ」とわりと客観的に聞いていた。そして後になってジワジワと自分の立場のヤバさに気づいた。

「留年はさすがにマズいぞ」

そう思った私は、その日からちゃんと学校に行くことにした。天然で悪いことをするくせに、立場が悪くなると更正する完全なビビリである。

そして、人生最大のピンチの日がきた。

その日の朝、私は寝坊した。

順調に授業に出ていた私は完全に油断して、目覚ましをかけないで寝てしまっていた。

頼みの綱であった『お母さん目覚まし』も、母は「友達と高尾山登ってきます」というメモを残して朝から不在だった。

母が山の頂きを目指している時に、息子は人生という山を転げ落ちようとしていた。

まともに行ったのでは間に合わない。

タクシーで行くか?

財布には30円くらいしか入ってなかった。

こうなったら最後の手段。

私は最近中型免許をとり、400ccのバイクに乗る友人を電話で叩き起こし、急いで迎えにきてもらうように頼んだ。

やはり持つべきものは友である。

友人は事情を理解し、神の早さで迎えにきてくれた。

 

環七を爆走し、私はなんとか授業が始まるギリギリで学校に間に合った。授業は英語だった。

友人にお礼を言い、何か言っている友人を振り切って私は授業がある教室へダッシュした。

走れ、メロス!

かかとを踏みすぎてぺったんこになっている上履きをぺたん!ぺたん!と鳴らしながら、1人のバカ学生が校舎を駆け抜ける。

焦りすぎてカバンを忘れ、手ぶらで学校にきた社会の窓全開のアホが教室に飛び込んだ。

いきなり飛び込んできた私にクラスメートは驚くのと笑うので大変だったが、私は間に合った安堵感でいっぱいだった。

先生も笑っていた。

先生は笑いながらこういった

「授業始まる前にヘルメットとれよ」

私はヘルメットをかぶったまま登校していた。もちろん学校はバイク登校禁止である。

しかし、その先生は本当にいい先生だった。私の事情と、そこまで一生懸命きたのであれば見逃してやろうという慈悲の心で見逃してくれた。
(まぁ私が運転してきたわけではないので校則的にもOKだったのだろう)

実は今でも「高校を卒業できなかった自分」という設定の夢を見てはうなされている。友人とバイクに乗っているが間に合わず、学校も退学になって途方にくれる自分がいる。それくらい、当時は怖かった。

学生の諸君、こんな大人にならないように!

あと、学生のお子さんを持つお母様へ。

朝早く出かける時は、前日の夜までにお子さんに知らせてあげてください。普段は反抗しているかもしれませんが、なんだかんだ貴方を頼ってます。

どうかよろしくお願いします。

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